みちのく通信

わたしの故郷 みちのく 東北地方の話題を地元新聞 テレビなどからピックアップします

8月は戦争と平和を考える月に・・・東北地方でも空襲がありました。

昨日は、広島へ原爆が投下された日。

NHKでは、土日の夕方4時から「東京裁判」というドキュメンタリー風な

ドラマの再放送(2016年12月に放送されたものだそうです)を

見ていたら、いろんなことを思い出しました。

私は高度経済成長期真っ盛りに生まれた人間で、戦争のことはわかりません。

お盆に 小さいころ母の実家にいったりして、親戚が集まって

親戚のおじいちゃんやおばあちゃんがしみじみと

「本当に悲惨な戦争だった」

「なんであんなことをしたんだろう」

「高層ビルが立ち並ぶ東京の街や、日本全国に高速道路と新幹線が張り巡らされた

今の日本の繁栄を、空襲で亡くなった同級生に見せたい・・・」

などと、語ったり、

ちょうどオリンピックの時とお盆の時期と重なった年などは

親戚のおじいちゃんが

「いろんな国の人たちが一同にこうして集まって、よかったよかった。平和になって本当によかった」と何度も言っていたことを思い出します。

私の両親も戦前の生まれで、身をもって戦争を体験しています。

夫の両親もそうです。

 

この東北地方でも空襲はありました。

私が住む福島県郡山市保土ヶ谷化学という化学工場があり、そこが狙われました。

今は亡き、夫の母親は、「帰宅難民」となり

線路沿いを歩いて姉たちと帰ってそうです。姑はそのとき女学校に通っていて

勤労奉仕として、郡山駅前の郵便局で働いていたとかなんとか話していました。

 

また白河も日本工機という軍需工場があったためにそこが狙われ、

当時、学徒動員として女学生たちもそこで働いていたために女学生たちが

犠牲になりました。

 

保土ヶ谷化学や日本工機は今でもあります。

 

東北最大の街の仙台も空襲にあったと聞きました。

 

日本の本州で最後に空襲にあったところはどこか知っていますか?

秋田県秋田市にある土崎(つちざき)です。

土崎空襲です。

終戦の前日 8月14日に 落とされました。

 

秋田の私の母親は、この土崎の出身。

母は当時は小学生だったようで、母親やおばあちゃんたちと

山のほうへ逃げたようです。

土崎というところは、港で、当時は秋田県というところは

油田があり、石油がとれていたため、石油コンビナートがたくさん

あったそうです。

 

そこがやられました。

 

おばあちゃんがいうには、砲弾を雨のように降らせるわりには

あまりコンビナートなどには命中せず、

土崎湊の日本海に落下したそうです。

おばあちゃんは、秋田の三吉神社の神様(地元では さんきちさんといいます)

が海をコンビナートに見立てて土崎を守ったんだ・・・とよく語っていました。

 

最近まで、よく、土崎港の日本海から不発弾がでる騒ぎもありました。

 

ものすごい量の砲弾だったようで、

親戚のおじいちゃんたちは「アメリカさんたち、明日は終戦と わかっていて、

最後だからといって、全部、砲弾を捨てていったのではないか」

とよく言っていました。

 

NHKの「東京裁判」は、世界の人々から当時の日本はどのようにみられていたのか

ということもわかり、

ふと、孫崎享 先生の「戦後史の正体」を思い出しました。

これについては、サブブログに書きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本当に悲惨な戦争だったのですね。